好き勝手ブログ

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宮城県の不登校児童数

宮城県の調査による統計を確認しました。

参照元

https://www.pref.miyagi.jp/uploaded/attachment/335452.pdf

 

それによると小学生の不登校者数およそ900人、中学生2400人ほどです。

 

宮城県の小学校の数404校

中学校の数213校なので

 

小学生は1校に2~3人、中学校では11人程度いる計算です。

 

これは、できるものだけを評価し、できないものには厳しくあたる教育と思いやりのない生徒を育て続けた結果だと思います。

 

だからできないことがあって劣等感のある子は、いじめの対象になり学校に行けなくなる。

(私が子どもの頃は、学校に行かないと親に暴力を振るわれたり暴言を吐かれそうで行くしかありませんでした。だから行かなくて良い選択肢があることは、いいことだと思います。大人になって思うのはしつけらしいしつけは、されたことがありません。親の感情で良し悪しが決められ、親が気に入らなければげんこつ。悪いことをしたとしてもどうして悪いことなのかを教えられたことはありません。孤独だからはけ口に悪いことも色々しました。そのことについてはまた別の機会にでも。)

 

行かない選択肢があることは、今はとても良い傾向にあると思います。

 

学校が最適な体制を取れないから、あぶれる子供が出てくるのです。

 

いじめの数は自殺した生徒がいたから浮き彫りになったのか、ワースト2位だとか。

 

実際に子どもを学校に通わせていて、どうしてそうなるのか私には手に取るように分かります。

 

日本の世の中がそうであるように、学校も成績の良い生徒には楽しいところで、できない子にとっては地獄なのです。

 

私が中学生だった頃

遠足か何かで山登りをさせられました。

単に登るだけではなく、班単位でグループ化され、遅い人がいると負け。

だから全員が早く登った班が勝ちというものです。

 

私は坂を登るのが苦手で、すごく頑張って登ったけれどビリでした。

私のせいでビリでした。

そういう時、さっさと先に登って行った男子はこういいます。

 

「お前のせいで負けたんだ!全部お前のせいだ」

 

私はどんなにか必死で登ったか分かりません。

けれど頑張った過程は評価されず、結果だけが評価されます。

 

そういうことの繰り返しで、死にたくなりました。

自分は価値のない人間だと思うようになりました。

 

自分が遅くて文句を言われるだけではなく、生きて存在するだけで他人に迷惑をかける存在なんだということがとても悲しかったです。

 

親はギャンブル依存症で、週末になれば出かけていき、私を理解してくれる人はいませんでした。

 

学校はそういうことの連続で、本当に地獄そのものでした。

 

子どもにも同じ思いをさせるのは自分がするより辛い

学校は残念ながら私が通っていた頃と、何も変わっていませんでした。

子どもが罵声を浴びせられるたびに、胸が苦しくなります。

 

「どうして片付けられないのよ!」

「いっつも落し物ばっかりして!!」

 

心無い非難の声が息子に飛んできます。

 

クラス対抗大縄跳び大会

どうしてこんなもの開催するのか、私は意味が分かりません。

案の定息子はとってもとっても頑張っているのに

「お前が引っかかったせいで負けたんだ!」と言われました。

 

弱者を強者がフォローしてみんなで頑張ることに意義があるからこそ、クラス対抗なのじゃないでしょうか。

 

だとしたら担任教師が、弱い者の気持ちを理解してできない子を盛り立てるようなクラス作りができないと意味がありません。

 

 

残念ながら弱い子は非難され続け、私のように傷つく子が毎日、毎日、生産されているだけではないでしょうか。

 

なぜなら教師は、生徒の頃、漏れなくできる側の人間でした。

 だからできない人間の気持ちは分からないのです。

 

中学生の頃、できない私を先頭に立って私をいじめていた女子がいました。

その人は教師になったそうです。

だから尚更、教師が信用できないのです。

 

羽生選手は大好き・・・だけど・・・

羽生選手がジュニア時代から密かに応援しています。

仙台市が大嫌い、学校なんて糞と言いながら、羽生選手や楽天イーグルスを応援したり、地元愛もあるところが自分でもちょっと理解不能です。

 

羽生選手がひたむきに頑張る姿、私の半分の年齢だけどメンターにしたいほど尊敬しています。

 

でも心に引っかかることもある。

 

羽生選手のお父さんは中学校の教頭先生だとか。

結局、私の大嫌いな学校の先生つながりか・・・。

 

 

それに並外れた頭脳や運動神経を持っていたら、どんなにか頑張れるだろう。

できないものは、努力しても人並みにできるかできないかです。

練習しているのを見て馬鹿にされて傷つきます。

だから、練習しているところを見られないことなら、割と得意になったこともあるかも知れません。

例えばイラストを描くこととか、パソコンのタイピングとか・・・

 

人よりできないと分かっているからそれを見られるのが恥ずかしくて地獄でした。

 

だからできる人に生まれたら、私だって羽生選手のように努力できたに違いないと思います。人よりできると分かれば、どんなにつらい練習も楽しいか分かりません。

 

どんなに頑張っても人よりできない、こんなつらいことありません。

どうして頑張っているのに、いつも非難されるのでしょうか。

 

生きている意味はないのでしょうか。

 

そんな私もいくつかの成功体験を重ねて、昔よりは自分に自信を持てるようになりました。だけど、やはり子供のことを通して現実に目を向けると、いじめた生徒も理解の無い馬鹿教師たちも殺してやりたいと感じるほど憎いです。

 

そういうのを無理やり思い出さないようにして、そういう風にすることだけが楽しく生きていく道でしかありません。

 

他にもたくさんの不登校の子がいる。

それがむしろ救いでもあります。

 

もし運よく小学校でいじめに遭わなかったとしても、中学になれば確実にいじめに遭うと分かっています。

体育で他の子の足を引っ張ったり、できない柔道をやらされてもし大けがでもしたらとすごく心配だったので、学校に行かなくなってむしろホッとしているほどです。

 

息子は私のような悲しい思いをして、劣等感を抱いたり死にたいと思ったりしてほしくありません。

 

だけど私が病気などで死んだら息子はどうなるんだろう・・・。

 

発達障害の人間が一人で生きていくのはとても並大抵のことではありません。

知的障害者のような支援もありません。

 

今から本当に心配です。

なにか残せるように必死に考えています。